こんにちは。セブタイです。
セブドクターズホスピタルなどの病院と提携されている、
ジャパニーズヘルプデスクの山崎弘宣様にお話をお伺いして来ました!
2時間のロングインタビューですので、どうしても記事が長くなってしまいました。。。
山崎さん、本当にありがとうございました!
「過去」…学生時代どんなことをしたか、日本のサラリーマン時代のこと
「現在」…待遇やジャパニーズヘルプデスクの仕組みについて
「将来」…キャリアアップについて、大学生に伝えたいこと
というふうに展開します。
2時間のロングインタビューですので、どうしても記事が長くなってしまいました。。。
山崎さん、本当にありがとうございました!
「過去」…学生時代どんなことをしたか、日本のサラリーマン時代のこと
「現在」…待遇やジャパニーズヘルプデスクの仕組みについて
「将来」…キャリアアップについて、大学生に伝えたいこと
というふうに展開します。
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Profile
山崎弘宣
大学時代はボクシングに打ち込み、旅行で訪れた海外に刺激され旅行代理店へ就職。
大学時代はボクシングに打ち込み、旅行で訪れた海外に刺激され旅行代理店へ就職。
就職した阪急交通社にて8年間は国内旅行の営業を、5年間は国外旅行の営業を経験。
同社を退職後、宝飾品店にて営業として1年勤務。
その後、以前より持っていた海外志向から、語学留学することを決意。
2年間の内にシドニー、セブ、ニューヨークなどの語学学校や、セブのサンカルロス大学へ留学。TOEICのスコアは900点。
the Blue ground Inc. に入社し、セブ地域のジャパニーズヘルプデスク(以後JHD)をマネジメントし、同時に通訳や営業も精力的に行なっている。なんと彼の営業のおかげで患者様の来院数は以前と比べて20倍以上になったそうです。
セブについてのブログも連載中。
その後、以前より持っていた海外志向から、語学留学することを決意。
2年間の内にシドニー、セブ、ニューヨークなどの語学学校や、セブのサンカルロス大学へ留学。TOEICのスコアは900点。
the Blue ground Inc. に入社し、セブ地域のジャパニーズヘルプデスク(以後JHD)をマネジメントし、同時に通訳や営業も精力的に行なっている。なんと彼の営業のおかげで患者様の来院数は以前と比べて20倍以上になったそうです。
セブについてのブログも連載中。
Hiroの海外生活 セブ島日記
ジャパニーズヘルプデスク
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ジャパニーズヘルプデスク
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「過去」について
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「海外志向はそこまで強くなかった」
ー山崎さんの大学時代はどのようなものでしたか。↑山崎さん JHDオフィスにて |
ー貿易に関するゼミに所属していたということですが、海外に出て働きたいという気持ちは学生時代からあったのですか?また、当時英語は喋ることができましたか?
山崎 海外志向は漠然とあっただけで、そこまで強くはなかったです。英語もまったく喋れない学生時代でした。もちろん大学に入るときに受験勉強はしたので、文法や語彙などはそれなりにありましたが、聞くことも喋ることもまったくできませんでした。
ー課外活動などは行なっていましたか?
山崎 高校時代からずっとやっていたボクシングを大学でも続けていました。大学二年の時に大学対抗のリーグ戦で新人王もとったことがあるほど熱中していました。今も趣味でジムに通いボクシングは続けています。また、家庭が裕福ではない上に放任主義だったのもあり、アルバイトに明け暮れていました。家庭教師や日雇いの清掃、ファミレスのウェイターなど様々なアルバイトを経験しました。学費はそれらのバイト代から捻出していましたね。
ーなるほど、苦学生だったのですね。卒業後、阪急交通社に就職されたそうですが、それまでの経緯をお教えいただけますでしょうか?
山崎 僕は1年留年して、5年で大学を卒業したんですね。それは何故かというと、就職先を決め直したからです。4年の時に決まっていた就職先はネームバリューだけで決めてしまったので、自分のやりたいことができないと思ったのです。結局その後は内定を辞退し、5年生で再び就職活動をしました。その時に阪急交通社から、無事内定をいただきました。
ーなぜ阪急交通社に就職しようと思ったのですか。
山崎 海外旅行でアメリカ、メキシコ、コスタリカを訪れたのがきっかけですね。今まで知らなかった土地の生活に触れ、海外と関わりのある仕事をしたいと思うようになりました。また、就活中に同期が既に阪急交通社でイキイキと働いている様子を見て、次第に惹かれていきました。
ーそれで旅行代理店である阪急交通社に就職されたのですね。ちなみに大学をご卒業された時、就職するという道以外に他の選択肢はありましたか。
ーなるほど、苦学生だったのですね。卒業後、阪急交通社に就職されたそうですが、それまでの経緯をお教えいただけますでしょうか?
山崎 僕は1年留年して、5年で大学を卒業したんですね。それは何故かというと、就職先を決め直したからです。4年の時に決まっていた就職先はネームバリューだけで決めてしまったので、自分のやりたいことができないと思ったのです。結局その後は内定を辞退し、5年生で再び就職活動をしました。その時に阪急交通社から、無事内定をいただきました。
ーなぜ阪急交通社に就職しようと思ったのですか。
山崎 海外旅行でアメリカ、メキシコ、コスタリカを訪れたのがきっかけですね。今まで知らなかった土地の生活に触れ、海外と関わりのある仕事をしたいと思うようになりました。また、就活中に同期が既に阪急交通社でイキイキと働いている様子を見て、次第に惹かれていきました。
ーそれで旅行代理店である阪急交通社に就職されたのですね。ちなみに大学をご卒業された時、就職するという道以外に他の選択肢はありましたか。
山崎 まったく考えてなかったですね。プロボクサーにならないか、と色々なジムに誘われたりもしましたが、プロボクサーの先輩たちが中々食べていけないのを間近で見ていたので、自分にはこんな不安定で厳しい生活は無理だと思い、断ってしまいました。
ー海外と関わりのある仕事をしたいと仰っていましたが、阪急交通社では最初に国内旅行の営業に配属されたそうですね。その点について、やはり理想と現実のギャップはあったのですか?
山崎 もちろんありました。もともと海外旅行を取り扱う営業をしたいと考えていたので、早く希望の部署に行きたいと願っていました。しかし、会社が大きい組織であればあるほど、希望通りの部署に行けないのも常です。だから、まずは配属になった国内旅行の営業で結果を出そうと思いました。また、数字(ノルマ)を上げられないと発言権がないので、なんにせよ結果を出すしかなかったですね。これも組織が大きければ大きいほど、どこも同じだと思います。
ー阪急交通社にいた時に営業で得た哲学などはありますか?
山崎 「いい商品を提供しなければ売れない」ということでしょうか。その場限りで無理やり商品を売ることはできますが、お客様だけでなく他の取引先や仕入先との関係を長期的に考えたら、やはり良くないです。自分だけが勝つのではなく、お互いが得をする関係を作る。常に取引先や仕入先とのコミュニケーションをきちんととり、「良い商品を教えてもらう」のが大事だと思います。
ーなるほど。これから営業をする学生のみなさんは要チェックですね!
「海外の人と喋りたい」
ー阪急交通社では仕事も順調で海外旅行を取り扱う部署に配属もされ、まさに順風満帆だったと思うのですが、なぜ仕事を辞め語学学校へ入ったのですか?山崎 海外志向が自分の中でより大きくなってきたのと、タイミングが良かったからですね。もともと阪急交通社で働いてる時、英語はまったく喋れない上に話せないままでした。しかし、旅行で同行してもらう添乗員さんや通訳さんが、英語を使い活躍している姿を間近で見て、次第に「自分も海外の人と喋りたい」という憧れを抱くようになっていきました。その時期に離婚したことも要因の1つですね。そういう面では身軽になれたので、海外に行くチャンスだと思うようにしました。
山崎 仕事を辞めたのは、単純に、それくらい英語の勉強に身をいれないと英語が身につかないと思ったからです。留学だって働きながらではできませんからね。最近は短期からできるセブでの留学とか流行っていますが。そんなわけで退職して2年間のうちにシドニー、セブ、ニューヨークへ留学し、最後にはまたセブへ留学しました。
ーなぜそんなに学校を転々としていたのですか?入学金や渡航費を考えたら1つの学校に留まるほうが経済的だと思うのですが…
山崎 失業保険が降りないからです(笑)失業保険を受け取るためには月に1度はハローワークへ行かなければならないんですよ。だから、最初に行ったシドニーは3週間で、次に行ったセブは4週間で帰ってきていました。
ーなるほど、退職して一念発起、英語を極めてやろう!!というサラリーマンの方には貴重な情報ですね!英語ができるようになったと実感したのはいつ頃ですか?
山崎 分野ごとに異なりますね。僕はニューヨークのすごいスピードの英語を聞いてる内に、リスニングができるようになりました。スピーキングは最後に通ったセブのサンカルロス大学でようやくできるようになりました。ニューヨークなどよりセブのほうがマンツーマンの授業があるので、スピーキングを伸ばすのに最適なんですね。だから僕は最後にセブに戻ってきたのです。
ーセブで働こうと決めたのは何故ですか?
山崎 それは…在学中にできたフィリピーナ嫁を残して日本に戻ることはできなかったからです。これも一種の成り行きかもしれませんね。
ーそれでは、最初からセブで働くつもりはなかったのですか?(笑)
山崎 やだよ!給料低いし!もともと僕は日本で働くつもりだったんですよ。
ーそれがなぜJHDに働くことになったのですか?
山崎 それも偶然というか、タイミングですね。たまたま僕がサンカルロス大で第2セメスターを修了した時に募集されていたのに応募して…今に至ります。
「現在」について
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「医療関係の知識はまったくなかったですね」
山崎 主な仕事は日本人の患者さんとフィリピン人の医師の通訳や医師選びのお手伝いですね。その他にはJHDで事務作業をしてくれるフィリピン人スタッフのマネジメント、日本企業や語学学校への営業もやっています。
ー医師と患者さんとの通訳といったら、医療関係の専門的な用語や表現、知識も必要になってきますよね。過去に医療系の業種との関わりや、それらについて学ぶ機会はあったのですか?
山崎 まったくなかったですね(笑)それでも覚えざるを得なかったんで、必死に単語帳を作って覚えました。当時まだ就任したてのフィリピン人の医師に協力してもらって、必死に知識を身につけました。努力、努力、努力です。今や看護師さんやお医者さん程度には知識があるんじゃないでしょうか(笑)
ー医師選びのお手伝いというのはどういうことなのでしょうか?
山崎 JHDが提携しているセブドクの医師の給料っていうのは、病院から払われているのではなく、出来高制なんですね。セブドクは場所を貸しているだけで医師たちは開業医みたいなものなんです。だから、医師は自分が儲けようと、値段の高い投薬をしようとしたり手術や入院を積極的に勧めるんですよ。そういう悪徳な医師は、決して少なくありません。そういった医師を避け、より適切な治療を受けて頂くお手伝いをするというのが僕の仕事です。
ー患者さんの病状と医学の知識、加えて医師たちを良く理解していないと務まらない仕事ですね。ちなみに、どのような患者さんが一番多いのですか?
山崎 ほとんどは日系企業から出向されている方、こちらで起業された方、長期滞在する語学学校の生徒さんですかね。
ーてっきり旅行者の方がほとんどなのかと思っていました。
山崎 いえ、旅行者の患者さんは少ないですね。何故かというと、滞在期間が短いため、少しの腹痛や風邪なら我慢して病院にはかからないからです。僕達JHDが保険会社と代理でやりとりをするため、患者さんは保険金の申請などの手間をかけず、キャッシュレスで診察を受けられるため、ぜひ遠慮せず来ていただきたいです。
ー面倒な保険の書類などを整えなくて良いのはすごい便利です!いつもお世話になってます(笑)ところで、お聞きするのは失礼かもしれませんが、給料は日本の給料を基準としてるのですか?
山崎 詳しい数字は言えませんが、日本基準というよりは、どちらかと言うと現地基準の金額をもらっています。
ーやはり現地採用の方には現地基準の給料が支払われるんですね。休日の数や福利厚生などはどのようになっているんでしょうか?
山崎 休みは週に1日ですね。本当はもっとあるのですが、フィリピン人はマネジメントしてあげないと全く働かないので結果的に出勤することになってしまいます。ですが、日本の患者さんに適切な治療を受けていただきたので、当然のことだとも思っています。風邪を引いても休まず、入院しても出勤しましたよ(笑)
山崎 福利厚生もほとんど無いですね。保険とかそういうものがこの国では無いので。日本って素晴らしい国だなと思いましたね(笑) 日本という国や日本企業がどれほど多くのお金を従業員に費やしてるのか実感しました。
ーそういう意味でも、やはり現地採用と出向された人との差は大きいのですね。
山崎 そうですね。大きいと思います。ただ単純に海外で働きたいということでしたら、日本企業から出向されるほうが良いと思います。もちろん現地採用の給料でも、物価が日本より安い場合が多いので十分やっていけますが。
ーありがとうございました。では、将来についてお伺いしていきます。
「将来」について
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「語学学校をやれたらなあって」
山崎 実はあまり考えてないんですよ(笑)とりあえず、来年の4月には日本に戻って働きたいな、と思っています。営業と英語を活かせる職がいいですね。日本でお金を稼いだあとは、セブに家を買って、将来的には語学学校をやれたらなあって思っています。フィリピンでは、外国人は土地の売買ができないのですが、その点僕はフィリピーナの嫁がいるので問題はありませんし、チャレンジしたいと思っています。
ー最後に、学生に一言お願いします!
山崎 就活とか厳しいと思いますが頑張ってください。学生の内に長期的な旅行をし、教養を深めてくださいね。あとは大学の先生を積極的に利用してください。あと就活では、イメージだけで企業を選ぶのではなく四季報など見てしっかり選びましょう!離職率が高い会社は…あまりオススメしないです(笑)
山崎 あとセブに働きに来る方へ。フィリピン人をマネジメントするのは難しいです!フィリピン人をうまく扱えなくてノイローゼになり帰国される方もいらっしゃいます。予めミスを覚悟して、根気よく管理、指導してあげてください。以上です!
ーありがとうございました!今回のインタビューはセブドクターズホスピタル・ジャパニーズヘルプデスクの山崎弘宣さんでした!次回をお楽しみに!!